双子ちゃん282日。9ヶ月と8日。
1号ちゃん、歯が4本。2号ちゃんは3本生えました。
力が強くなってきて、手首が再び腱鞘炎に。
今回もバンテリンのサポーターで乗り越えます。
私は一人っ子です。
高校生まで母子家庭でした。
母はとても心配性で、神経質で、自分の考えは常に正しくて押し付けてくる人でした。
子どもをコントロールしたい母と、自分のことは自分で決めたい私。
そのため、よくぶつかりました。
別れた父に言わせれば「ママは小さくて可愛いらしいんだけど、クレイジーなところがある」人です。
幸い、子どもがなかなかできないことに対しては、口を出さない人でした。
そういうセンシティブなことはそっとしておいてくれました。
妊娠したとき、私は母にすぐ言いませんでした。
喜んでくれることはわかっていたけれど、もしも何かあったときのことを考えると、言えずにいました。
報告をすることで心配してあれこれ言われることすらも嫌でした。
5ヶ月に入り、安産祈願も終わってから初めて夫からテレビ電話で伝えてもらいました。
母は報告を受けて画面の向こうで固まっていました。
画面が固まったのかな?と思ったくらい。
ほんと、びっくりしたのだそう。
しかも双子。
母から「手伝いに行きます」と連絡がありましたが、「こちらから連絡するまでは待っててください。」と断りました。
我ながら酷いですが、ホルモンのせいで気が立ってたのでしゃーないです。
結局、出産報告も夫から双方の両親にしてもらいましたが、面会が夫だけという病院だったことに乗じて「病院には来ないでください」と伝え、両親達が双子に会ったのは転院先の産褥入院。
15日くらい後だったと思います。
必死で新生児を育てながら思いました。
母もこんなふうに私を育ててくれたのかな。
私もこの子たちみたく泣いたのかな。
同じように愛おしくて仕方がなかったのかな。
母は私から連絡があるまで、じっと我慢して待っていてくれました。
感謝の気持ちが湧き上がってきて、体の限界を感じ、ついに母に助けを求めました。
片道2時間もかかる距離なのに、
だめもとで夜中の1時に「明日来れる?」とLINEしてみたら、「わかりました」と。
それ以来、毎週1回来てくれています。
頭が上がりません。
先月私が、がん検診に行った際、ヘルパーさんと母が二人で話したそうで、ヘルパーさんから言われました。
「お母様が『孫よりも娘が心配で可愛いいんです。なので、孫より娘に会いたくて来てるんです』って仰ってましたよ」
私は心の中で謝りました。
思春期のとき
「私はママみたいな母親になりたくない!」
なんて言って、泣かせてごめんね、と。
あまりに酷い言葉だったと、母親になった今、感じます。
母の嫌なところはありますが、人間なので私にも欠点はあります。
これからはできるだけ、母の良いところに目を向けて、限られた時間を過ごしていけたらいいな、と思います。