O型母の双子妊娠と育児

O型母の双子妊娠と育児

家族全員O型です。双子妊娠中の記録もあります。

帝王切開のその後

wifiレンタルを準備しなかったため、低速モードに切り替わり、色々なことができなくなっております。只今申請中。ガラケーより遡り、モデム再来並の遅さ。ピーグルグルグルフェェーヨ(全力でネットに接続を試みる懐かしのモデムの音)

 

帝王切開中、30分早々でベビコアラとの対面も果たすものの、吐き気でおえおえとえづき(何も出ないけど)、早く終わって欲しいと願い続けた1時間半。

 

帝王切開当日、終わった後はぐったりでした。

部屋に帰って手術4時間後から飲める水も一口飲んだだけで、寝たまま床や壁を汚してしまうほど勢いよく黄緑色の液を吐いてしまいました。しかもベビコアラ達が部屋に来てる時に。目の前に連れてこられても、ハイハイって感じで正直子どもどころじゃない状態。

 

足のポンプ、尿管、お腹の管(ドレーンという腹部に血や水が溜まらないようにするための袋)、背中の硬膜外麻酔、指先の呼吸を測る管、腕の点滴の管につながれて、痛み止めの座薬と、吐き気止めの筋肉注射(眠くなるありがたい副作用あり)をして睡眠。

背中の麻酔が漏れていたので、ガーゼで貼り直し。水分補給は吐いたトラウマで一人で飲めず、うがいとたまに湿らす程度。朝までとてつもなく長く感じました。

 

翌日術後1日目、起き上がる前に痛み止めの座薬を入れてもらい、傷口の治りを早くするために尿管を外して歩く練習。新生児室にも行きました。

よく「赤ちゃんの顔を見たら痛さも吹っ飛びました」と聞きますが、痛みはこれっぽっちも吹き飛ばず、じっとみて終わりました。(๑˙―˙๑)お腹の傷が痛すぎて抱っこもする気になれず、部屋に連れてきて夫が先に抱っこしてミルクをあげてくれました。

特に羨ましいとも思わず、身動き取れずに遠目でじっと見るだけの自分は母性がなくなったのかと不安でいたら、看護師長曰く「あれ(痛みが吹き飛ぶ)は振り返って皆の記憶が美化されてるから。痛いもんは痛い」ということで少し安心しました。

 

痛み止めが切れてきた時、薬を飲むべきでしたが、後陣痛はこんなもんだろうと我慢した結果、ちょっとした動きが仇となり、痛みで叫び声が。あまりの痛さに涙がボロボロと出ました。その声で看護師さんが駆けつけたほど。(双子ちゃんと対面したときは涙が出なかったのに) 

その夜、背中の漏れていた硬膜外麻酔が抜けていたので、1日早く完全に抜いてしまうことに。さらに痛みが増し、痛み止めが切れた夜中の3時半すぎに尿意を催し痛みをこらえてお手洗いに行ったものの我慢できず、少し漏らしてしまいました。トイレからナースコールを呼んで部屋に連れて帰ってもらい、ショーツや血栓予防の靴下、スリッパの交換(何足か予備を持っておいてよかった)朝の4時に痛み止めを飲みました。以後、我慢せず6時間ごとに痛み止めを飲むことにしました。

 

「これぞまさに、お腹を痛めて産んだ子達だ」と思いました。自然分娩は「お股を痛めて産んだ子」ではないかと。(自論)

 

術後2日目、お腹の痛みは正直産前より痛いです。緊急の患者さんが来るとかで、個室が廊下の突き当たりに変更になりました。朝の看護師さんに前夜のことが引き継がれ、午前中は回復につとめましょう、と言いつつ4回も催してしまいトイレまで頑張って歩きました。

その合間をぬってお腹に注射をし、ドレーン(お腹からぶら下がっている袋)を外し、痛み止めを飲んだ後、看護学生を2人受け入れることになりサインと挨拶をし、薬が効いてから身体を拭いて、新生児室に行きましょうと、なかなかのハードスケジュール…午後から新生児室に通い、初めておっぱいを吸わせました。個人的には2回通うと2人×2の経験値に。夜まで母子同室の予定でしたが、様子を見た助産師さんが「通いにしましょう」と。

 

その様子とは…二人ともおっぱいを吸っても何も出ないので→考える顔をする。なんでこの何も出ないモノをすわされているのだ。疲れるしお腹も満たされないし、一体なんなのだ…。→姉は口を固くとざす。妹は泣き出す。

ミルクは出ませんが、吸われたことで大量の悪露が出ました。

なお、帝王切開5日目の方も、まだ母乳出てないとのこと(°▱°) まじですか…。

 

区役所に行った夫から「出生届が受理されたよー」と連絡がありました。ちょっと感動。その足で病院に来て私にタンポポ茶を、双子にミルクを飲ませました。明日は健康保険証の発行を依頼しています。

 

明日術後3日目以降は、痛みももっとマシになって、母乳も出るといいのですが…。母乳が出たら夜中も母子同室かな。