O型母の双子妊娠と育児

O型母の双子妊娠と育児

家族全員O型です。双子妊娠中の記録もあります。

私の職業遍歴。変なこだわり。

双子ちゃん、今日で6歳7ヶ月です。

先日手術しましたが、小学校では役員の仕事もしています。

今年の会長は「子どものためになるかどうかを判断基準に無駄をなくす、効率化を図る。」をテーマに掲げてくださってるので心強いです。

 

早速、これって紙じゃなくてデータ送信できないのかな?メリットを提示して教頭先生に可能か聞いてもいいですか?と委員長に提案。

いいですね!聞いてみてくださいと返事あり、すぐに動いて実現させました。

 

紙配布って学校に行かなきゃいけないので面倒なんですよね…皆さんパートを休んだり、家事を後回しにしたり、みんなの日程を合わせて会議室取ったり。デジタルで済むなら割く時間が減るので、係の子どものためになります。

早速資料を作りタスク管理はこんな感じでスケジュール合ってます?来年の役員のためにマニュアルも作っていいですか?と一年生のママなのにガンガン飛ばしてしまいました。

 

え、専業主婦だよね?仕事してるんだっけ?

と聞かれましたが、もう10年ブランクありますかね、と私。

 

就職氷河期時代

たしかに新卒というと大量面接の間口は狭くて氷河期でしたが、転職サイトで未経験OKだとその間口は開いていました。新卒なのに転職サイトっておかしな話なんですけどね。なぜか私はそこに目をつけたわけです。

思えば、この性格のおかげでその時のバイト先からもお誘いもあり、そんなに言うほど氷河期かな?と思っていました。いい意味で社員にこだわりもなかったわけです。

 

当時は学生時代のアルバイト(教材の電話営業)が、2時間でノルマ3本のところ、11本か12本契約をとっていたので本社から卒業したら社員にならないか?って話が来てると言われたり

 

週末だけのアルバイト(店舗でPCを売る)で、メーカーの販促の会社の部長に会ってほしいと言われたりしました。(一応会ったけど、自分で見つけた恵比寿にある会社が第一希望だったので保留にして断った。)

 

新卒で派遣会社の契約社員

大量面接ではなかったので同期もいません。入社も4/15でした。

当時、恵比寿の駅前にある一等地の立派なビルに入っていた、広島で歴史のある小さな派遣会社に入社しました。(今は移転して場所も代わり、創立から半世紀を過ぎた何気に長寿の会社です)

新卒ながら、派遣会社で派遣する側の契約社員として、5つの部署(総務・経理・人事・システム1課・営業)を兼務して、あらゆる経験をさせてもらいました。

来客案内、契約書や見積書の作成、毎月の売上管理表、出張精算や出納帳作成、文書変換、昔は公益法人だった企業の全国の社員給与,ボーナス,年末調整を主任と二人で担当したりとなかなかのハードワークを楽しんでいました。

PCインストラクターもやらないか?と現社長(当時課長)に言われて資格を取ってお教室を持たせてもらい、派遣社員のレベル向上に努めたり。

営業アシスタントとシステム担当兼務で公益法人に出向いてHPを作ったり、東京支社を2本社制にすることになり総務と経理と人事を任され、引き継ぎのために一人で広島出張したり。

暇な時に社員情報管理システムをAccessで作ったり。サーバールームにこもって言われた通りのコマンドを叩いたり。PC100台くらい一人で初期化したり、社内向けのHP作ったり、年末にコールセンターやキャンペーンガール(いわゆるキャンギャル)に駆り出されて、銀座の三越や、フジテレビの食堂でご飯を食べれたり。社長の飲み物や来客のお相手、と何でも屋をしてたら毎年社員に誘われました(コストカットでしかなく、年功序列の給与体系で給料下がるから毎年断って契約更新していた)

 

会社を辞めて四国で車の免許を取る

車は危険な乗り物なので、免許を取るなら自己責任でというのが我が家の家訓でした。車は乗らないけど免許証が欲しかったので、四国の徳島にドライビングスクールを見つけて「これだ!」と5年勤めた会社を辞めていくことにしました。楽しい、いい旅でした。

 

ハローワークで再就職手当をいただく

人事の仕事もしていたので、渋谷のハロワに毎月入退社手続きや社印を持って行っていました。当時は取らぬ狸の皮算用的な本、(いつ辞めて、どのくらい経過して再就職すると一番お得か)を愛読しており、法改正もあって辞める時機を伺っていました。それに従って退職し、再就職するとそれまでの給与の60-70%を頂けました。(のちに出会う夫は転職した時にハロワを意味もなく毛嫌いしていたのですが、この話をしてなんとか行かせると、ほくほく顔で戻ってきました)

 

大手の派遣登録に行く

散々派遣する側の苦悩を知っていたので、次は派遣されたーい!と新宿の大手派遣会社2つに登録しました。すると、面接中に「ちょっと待ってて」と上の人を連れてきて、うちの社員にならないか?と誘われました。

すっごくありがたいんですけど、、、わたし派遣されたいんです。(それに社員はちょっと。ごめんなさい)変なこだわりである。

 

ついに憧れの派遣社員になる

渋谷区にあった200名くらいの会社でした。なにより家から乗り換えなしで行けるのが最高でした。

念願の派遣社員になるも、初めてのアシスタントに何をお願いすればいいかわからないと放置プレイ。

なので、ボスのスケジュールを見て会議表を作成したり、新しいツールを触って慣れたり、担当部署3つの社員に毎朝挨拶しに行って顔と名前を覚えたりしていました。

 

2ヶ月もすると会議に同席する?と言ってもらえたので同席して議事録を取るうちに、彼らの悩みが見えて来ました。基本は専門用語が飛び交い何言ってるか全然わからないけど、これなら私も役に立てそう、ということがありました。

彼らは真夜中に起こされて家で対応する15分-1時間の緊急トラブル対応は給与に反映されないのか?という悩みがありました。私に発言権は本来ないのですが、恐る恐る手を挙げてみました。

「そのモヤモヤ、人事と管理職の承認が取れるなら、累積するのはどうでしょう?15分からカウントできます。深夜時間なので何時間を1日単位として認めてもらえるかは人事に計算してもらい、これとこのシステム組み合わせたら申請から承認フロー作れる気がします。もしできたらマニュアル作って説明と運営担当もしますけど…」って提案したら、みんなぱぁぁぁっと顔が明るくなって…それが通って、人事とも仲良くなり、ボスから社員になる?って言われたりしてきました。(色々縛られるの嫌いなので派遣社員がいいですっらて断りました。どんだけ。)

 

イヤイヤ正社員になる

そのうち会社が大きくなり、港区へ移転。派遣社員のまま、同じ派遣社員のアシスタントや秘書を取りたいから面接同席してと言われたり、じゃぁ教育もして、とOJTしてるうちに会社は東証1部上場。

業務改善や見える化したりしてるうちにボスが上り詰めていき、アシスタントをまとめる常務取締役秘書に。

機密保持的な業務内容であることや、ちょうど派遣法が変わって、辞めるか社員になるかしかなくなり、仕事も職場も好きだったのでついに…嫌がりながら正社員になったのでした。提出書類も期間過ぎても出しませんでした…無意味なせめてもの抵抗ですね。

保険や退職の切りやすさから言っても正社員の方がお得なんですけどね、それでも縛られることを嫌うのは私の性質なんでしょうね。

 

話は戻って業務効率化は好物です。

環境にもいいし、生産性上がるし、いいことづくめ。

 

とりあえず思いついたら提案して、頭の中で組み立てて、どうしたらできるかを探り続けるのが癖なんでしょうね。